アステカ社会を語る上で特筆すべきことは人身御供の神事である。人身御供は世界各地で普遍的に存在した儀式であるが、アステカのそれは他と比べて特異であった。メソアメリカでは太陽は消滅するという終末信仰が普及していて、人間の新鮮な心臓を神に奉げることで太陽の消滅を先延ばしすることが可能になると信じられていた。そのため人々は日常的に人身御供を行い生贄になった者の心臓を神に捧げた。また人々は神々に雨乞いや豊穣を祈願する際にも、人身御供の神事を行った。アステカは多くの生贄を必要としたので、生贄を確保するために戦争することもあった。
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一般的に生贄になった者は祭壇に据えられた石のテーブルの上に仰向けにされ、神官達がその四肢を抑えて黒曜石のナイフで生きたまま胸を切り裂き心臓を摘出した。人身御供の神事は目的に応じて様々な形態があり、神官が生贄から剥ぎ取った生皮を着て踊り狂ったり、生贄を火中に放り込むこともあった。
現代人から見れば残酷極まりない儀式であったが、生贄にされることは本人にとって名誉なことでもあった。通常、戦争捕虜や買い取られた奴隷の中から、健康で見た目も高潔な者が生贄に選ばれ、人身御供の神事の日まで丁重に世話された。神事によっては貴人や若い男女さらには純真無垢な小児が生贄にされることもあった。
一の葦
かつてテスカトリポカ神に追われた白い肌を持つケツァルコアトル神が戻って来る『一の葦』の年(1519年にあたる)が迫っていた。アステカでは帰還したケツァルコアトルが古い世界を破壊して新しい世界を建設すると信じられていた。アステカ人が漠然と将来に不安を感じ始めていたころ、テノチティトランの上空に突然大きな火玉が現れ神殿の一部が焼け落ちてしまった。その後も次々と不吉な出来事が起こった。
さらに『一の葦』の年の2年前(1517年)から東方の沿岸に白い異邦人が現れるようになり、その情報が逐次アステカ国王モクテスマ2世に伝わった。人々は白い異邦人が帰還したケツァルコアトル一行ではないかと噂しあったが、実はスペインキューバ総督府からメキシコ周辺の情報収集を命じられたスペイン人の一団であった。彼らはキューバに戻ってアステカの繁栄をキューバ総督ディエゴ・ベラスケスに報告した。
ベラスケス総督の配下であったコンキスタドールのエルナン・コルテスは大変な野心家で、1519年2月、総督の命令を無視してアステカ征服を目指して16頭の馬と大砲や小銃で武装した500人の部下を率いてユカタン半島に上陸した。コルテスはタバスコ地方の勢力との戦いに勝利すると戦利品として贈られた女奴隷の中からマリンチェという没落貴族の娘を選んで現地妻にした。通訳としてまた案内人として有能であったマリンチェはコルテスに献身的に仕えた。
さらに軍を進めたコルテスは有力なトラスカラ王国と戦いこれを屈服させた。トラスカラは長年アステカの圧政に苦しんでいたためこれを機にコルテスと同盟を結んだ。コルテスは数万の同盟軍を得て自信を深めトラスカラ残留部隊を除いた400人の部下と千人のトラスカラ軍を率いてアステカ深部へと進軍していった。
『一の葦』の年に現れたコルテスはケツァルコアトル神の化身と信じられテノチティトランへと順調に進軍し、1519年11月18日、モクテスマ2世に迎えられてテノチティトランに入城した。テノチティトランの名所を案内されその豊かさと繁栄振りに目を見張ったコルテスは、入城6日目にしてモクテスマ2世を捕らえると宮殿に幽閉して人々に人身御供の禁止を布告した。
ベラスケス総督がベラクルスにコルテス追討軍を派遣したため、コルテスは僅かの守備隊をペドロ・デ・アルバラードに託して一時的にテノチティトランをあとにした。引き返したコルテスは同盟軍と協力してナルバエスに率いられた1000人の追討軍に勝利すると、投降者を編入して本格的なアステカ征服に専念した。
コルテスがテノチティトランに戻ると大規模な反乱が起こり、仲裁をかって出たモクテスマ2世はアステカ人の憎しみを受けて殺されてしまう。1520年6月30日アステカ人が諸悪の根源であるコルテス軍を激しく攻撃したので、コルテスは命からがらテノチティトランから脱出した。アステカはクィトラワク新国王を擁立して国の再建を目指し、コルテス軍捕虜を生贄にして気勢を上げた。
トラスカラで軍を立て直し用意周到に抵抗勢力を駆逐してテテスコ湖々畔に立ったコルテスは、1521年4月28日、13隻の帆船を築いてテテスコ湖に浮かべ数万の同盟軍とともにテノチティトランを包囲した。1521年8月13日、コルテスは総攻撃をしかけて病死したクィトラワク国王に代わって即位していたクアウテモック国王を捕らえアステカを滅ぼした。
その後スペインは金銀財宝を略奪し徹底的にテノチティトランを破壊しつくして、遺構の上に植民地ヌエバ・エスパーニャの首都(メキシコシティ)を建設した。アステカ人の多くが奴隷にされスペインのメキシコ経営に酷使され倒れ、あるいは旧大陸から伝わった疫病に感染し、そのため地域の人口が激減した。